■「叱咤激励、真剣勝負の先にあるもの 志治美世子・ノンフィクション作家」
なんか
医療者側からしたら
読んでいて
非常に疲れる文章です。
序文からは
「DQN医師にこびへつらわなくてはいけない患者」
という雰囲気しか出てなくて、
またか〜、
と思いました。
短い文章なので
あまりミスリードするような
書き方をしないでほしいものです…。
叱咤激励、真剣勝負の先にあるもの 志治美世子・ノンフィクション作家
asahi.com 2008年11月17日
http://www.asahi.com/health/essay/TKY200811130236.html
「こんにちは、先生!」
その日、私はこの整形外科医の午後一番の患者だった。
「先生、お昼ご飯、ちゃんと食べた?」
「うん、10分くらいで」
「もう、休憩もちゃんとしたの? ご飯も食べてない医者に、手術してもらいたくないんだから」
その時、私は手術台の上に横たわっていたのである。
■医師の機嫌に一喜一憂
近所の整形外科で、みるみる医師の表情がこわばるのを見て、私は震え上がった。差し出した指をいきなり思いっきり引っ張られ、あまりの痛みに絶叫をこらえた。震え上がったのは、医師の不機嫌さによるもので、自分の負傷のためではなかった。
「手術になるでしょう。handを得意とする整形外科医に紹介状を書きますが、かなり厳しいことを言われるかもしれません」
そう聞かされ、紹介された総合病院の整形外科医の診察を受けて、つい口走った言葉は「障害とか、残るんでしょうか?」。
かの医師はさっとオーラを暗く冷たく変えた。機嫌を損ねたのである。まずい! なんとか挽回(ばんかい)しなければ。
「あの、起こりうる限りの悪い可能性を、まず教えておいていただきたいんです」
取り繕う私に医師はほっとオーラの色温度を上げる。「最初に障害のことなんか言い出すから、当てこすられてるのかと思いましたよ」
私も笑って応える。「いえいえ、人間の体ですもの、なんでもありですから」
私が怖かったのは、残るかもしれない障害ではなく、お馬鹿な患者に腹を立てる良心的医師のご機嫌だったのだ。
術前の説明を受けて、サインする。
「他に聞いておきたいことはありますか?」
「日帰りですが、麻酔が切れた後のペインコントロールはどうするんですか?」
「ボルタレン座薬を出しますから、帰宅してから使ってください」
そうか、ボルタレン座薬が有効なんだな。この時点で私は、まだ自分の甘さに気がついていなかった。
■放置のツケ
誤って左手の親指を思いっきりドアに挟んでしまった。目の玉が飛び出るかと思うほどの痛みだったが、深夜だったこともあり、翌日まで耐えることにした。
翌朝になると、それなりに痛みが引いていたので、「もしかしたらこのまま治るかも」などと、いつものお気楽さが頭をもたげる。折しも、はるか南の島々では大地震と津波に見舞われていた。テレビでは刻々とふくれあがる被害と負傷者数が告げられている。
「外傷があるわけじゃないし、骨折かヒビだったら、そのうちくっつくだろうし」
遠い国の惨状を直視する恐ろしさに、私は自分の負傷を引きかえて思考停止したのだった。
それから4週間が過ぎても、一向に左手は回復の兆しをみせない。さすがのお気楽な私に、ついに夫の厳命が下された。
「今日中に必ず医者に行きなさい!」
そして私は診察を受け、我が身に起こっていたことを知らされる。脱臼と靱帯(じんたい)切断だった。
■急きょ、手術に
近所の整形外科から紹介された総合病院の整形外科外来の待合室は、かの南の島もかくありなん、と思われるほどの混雑ぶりだった。名前を呼ばれた時には、受け付けから5時間がたっていた。
「手術自体はそう難しいものではない、と聞いていますが」。ネットで調べた付け焼き刃を披露する。
「ここまで放っておく人はめったにいないので、十分に難しい手術です!」。脱臼したままの親指は固まり、切れた靱帯はすっかり縮んでしまっていたのだ。「靱帯はつないでみますが、もし再度切れるようなら移植することになります」
移植の場合には足から靱帯を取ってくるのだそうだ。「でも、できれば移植は避けたいですね」。やはり手の靱帯は手に任せておく方がいいらしい。
生来の愚かさが招いた災いだった。「切れた靱帯が再び使いものになるかどうかの瀬戸際」という医師の判断で、早急に手術日が決められる。
とりあえず医師の怒りは、お馬鹿患者に向けられることなく収められたようだった。
■松葉杖(づえ)で手術に
手術当日、私は右の脇の下に挟んだ松葉杖にすがって総合病院に向かった。その数日前、道を歩いていてピキッと足に感じた瞬間、右足を前に出せなくなった。何が起こったのか理解できず、知り合いの整体院に駆け込んだ。(左足から一歩前に出て、右足を引き寄せる、ぴょこたん歩きだけはなんとかできた)
「筋断裂。肉離れだね。歩く? 飲み会? 今夜? バカ言ってないで。ダメだよ、歩いたりしちゃ」
その日の飲み会はあきらめられても、左手の手術をあきらめるわけにはいかない。よって、借りだした松葉杖だったのである。その後3週間、松葉杖にはお世話になり続けることになる。
手術台に仰向けで横たわる私の左手は、ひじから先が白いスクリーンに阻まれて見えなくなっている。私は自分の右側上方にある画面で手術の実況中継を見る。
途中、何度も麻酔が切れかかった。ドリルの振動もけっこうリアルな痛みである。
「先生、痛い」「あ、ごめん」「違う、情報提供です」「ああそうか。麻酔、追加するから」
手術開始から終了まで2時間。私は寝っ転がっていただけだが、立ちっぱなしで集中し続ける医師は、さぞ大変なことだったのだろう。
終盤近く、「自分の骨、見てみる?」。
即座に、「やだ! そんなもん見て、余計痛くなっちゃったらどうするんだ!」と応じるも、「フリーライターのくせに案外気が弱いんだな」などという軽口に、無事にひと仕事の終了が近づいた医師としての安堵(あんど)が感じられる。
「ありがとうございました。大変だったでしょう?」
「そう。でも、この手術が一番大変だったから、後は軽いのにしてあるから大丈夫」
な、なんと、私の手術の後に、まだ二つの手術が控えているという。
たわいない会話の間にも、刻々と麻酔が切れて痛みが増していく。「これは家までなど、とても保たない!」。私は病院で座薬を入れて欲しいと頼んだ。
「分かった」と、医師はナースに指示を出す。座薬を入れてくれたナースが言った。「今夜一晩は、ね。しょうがないから」
そう、たしかに、しようがなかった。何をやっても! 手術という侵襲行為の猛威を、その夜一晩、私はたっぷりと思い知ることになる。
翌日、消毒のために外来を訪れた私は、かの医師にかみついた。「座薬なんて何の役にも立たないって、知ってたんでしょう?」
医師はなだめるように笑った。「でも、何もないよりは、ましだったでしょう?」
私たちは「ぷっ」と吹き出して、顔を見合わせて笑った。だが、この時、私はまだ過酷なリハビリの実態を知るよしもなかった。どこまでもお気楽な大甘患者だったのである。
■リハビリの日々
手術から1カ月が過ぎ、待ちに待った、脱臼したまま固まった関節を固定し、正常な位置に戻すための2本の針金をようやく抜ける日がやってきた。笑顔の私に、真剣な表情で整形外科医は言った。「ここからが、大変なんだ」
医師の厳しい口調に、私は思わずおびえて尋ねた。「そんなに、大変なんですか?」
「そう、覚悟が必要です。耐えられなくて、途中で挫折してしまう人も珍しくありません」
どうしよう。しかし、どうしようもない。
「一週間に3回から始めましょう。リハビリ室の予約を入れてください」
最初の日。リハビリを終えた私は家に帰ってベッドに潜り込み、背中を丸めた。しっかりと閉じた目に涙が滲(にじ)んだ。指、一本! たった手の指一本のことで、こんなに全身がこわばるほどの苦痛に耐えねばならないとは! これからの気の遠くなるような時間をどうやって越えていけばいいのだろう?
覚悟とか、機能回復へのモチベーションとかでなく、具体的なスキルが必要だった。それほどの激痛だった。
困り果てた私が得た結論は「目の前の一回のリハビリをこなすこと。そのことだけを考えよう。その一回を重ねていこう」というものだった。
これまで以上に医師とのコミュニケーションを良好に保つ必要がある。医師の顔色を見たり、ご機嫌を気にしている余裕など、ない。私は遠慮なく悪態を突くことにした。
「痛い、痛い、痛い〜! 悪逆非道、残虐無慈悲〜!」
わがまま全開のこの患者に、リハビリの療法士さん方は、さぞあきれたことだろう。が、こちらはかまってなどいられない。何しろ、先の見えないことなのだから。今、この今を乗り切らねば、明日はないのである。
リハビリの合間に、外来の診察が入る。
「手を見せて」
始めはばか正直に手を差し出していた私も、すぐにそれがリハビリの進行状況を知るための実地的行為だと知る。要するに、出した左手の親指をいきなり、思いっきり曲げられるのである。ほどなく私もそれを学習する。
「はい、診せて!」「やだ! 痛いんだもの」「主治医に隠して、どうするんだよ!」
やがて私は主治医の趣味がテニスだと知り、テニス話題に逃げることを覚えた。瞬時に主治医はご機嫌となる。
「最近、テニスしてますか?」「ふふ、この前の日曜日はコーチからサービスでノータッチエースをとったんだ」
5時間待ちの外来で、あまたの患者の待つ待合室を背に、趣味の話に興じることが後ろめたくなかったわけではない。が、それでも、こんな話題でとたんに「ふっ」と子どものような笑顔を見せるこの医師に、私は患者があふれかえる診療現場の過酷さを思わずにはいかなかった。
やがて、リハビリ室の療法士さんたちとも軽口をたたけるようになった。
「先生からの指示書に『思いっきりやってください』って書いてありましたよ」「鬼〜! サディスト〜!」
週3回のリハビリが2回となり、1回となっていった。自宅でもゴムボールを握り、握力訓練用のクリップを暇な時間には離さないようにした。服のボタンかけ、家のドアの鍵の開閉など、できるだけ何でも左手を使うようにした。
だが、外来での医師はそんなことを話しても絶対に褒めてくれなかった。「もっと、やって」「ちゃんとしてるのか」「まだがんばりが足りない」。厳しい叱咤(しった)の声ばかりが浴びせられる。
「ちゃんと、がんばってます! 本当です」。私の抗議の声など、耳に入れようともしない。
■真剣勝負
そしてその日は、突然に、あっけなくやってきた。
私の左手を確かめた医師が、言った。
「はい、よくここまでがんばりました。リハビリももう終わりです」
それは、今までに聞いたこともないような、医師の優しい口調から流れた言葉だった。私は一瞬あっけにとられ、不覚にも涙ぐんだ。
「そうか。そうだったんだ……」
私はこの一言を言ってもらうためにここまで来たのだということを、この瞬間に初めて理解したのだった。医師も、この一言を告げるために私を叱咤(しった)激励してきたのだ。
患者にとって、降って湧(わ)くごとき突発的な負傷や病気は、先の見えない予測不能な事態の継続である。が、医師には「見通し」というものがある。
患者は自分の負傷や病気に医師を巻き込むが、医師も患者を治療という土俵に必死に巻き込んでくるのだ。このバトルをいかに良好な場とするか。真剣勝負に、腹の探り合いや疑心暗鬼など入りこませる余裕はない。
医師にとって、現実の治療で起こりうることを、何でも言える患者であること。へこたれず、タフな患者であること。たとえそうではなくても、少なくともそうありたいと思っていることを、医師に分かってほしいと思っていること。
そう、優等生の患者ではなくても、大丈夫!
医師は患者を治すことが、お仕事なのですから。
◇
志治美世子(しじ・みよこ)1956年、東京生まれ。ノンフィクション作家。一女の母。医療や歴史、女性、社会などについて執筆している。医療事故で真実を求める家族や、良心と組織の論理のはざまで悩む医師ら、医療の現場の人々を描いたノンフィクションで、2007年、第5回開高健ノンフィクション受賞。受賞作は今年5月、「ねじれ 医療の光と影を越えて」(集英社)として出版された。
これは結局、
医師を褒めている文章?
朝日さんも
よくわかんないですね。
まあ、
ちょっと目にとまったので
載せてみました。


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