2013/11/20
■「希望の声今届ける 放送中事故で四肢まひ復帰 テレビ宮崎アナウンサー柳田哲志さん」
皆さん、本当に首は大事にしなくてはいけません。
本当に、本当です。

希望の声今届ける 放送中事故で四肢まひ復帰 テレビ宮崎アナウンサー柳田哲志さん
西日本新聞 2013年06月08日(最終更新 2013年06月08日 09時09分)
http://www.nishinippon.co.jp/feature/story_blue_sky/article/18634
「柳田さん、ちょっと読みを聞いてもらえますか」「その言葉は言い換えた方がいいかもね」
リハーサル前のメーク室は慌ただしい。テレビ宮崎(UMK、宮崎市)のアナウンサー柳田哲志さん(45)=同市神宮西=は後輩に短く助言し、出演者や機材の間をスルスルと車いすを滑らせてカメラの前へ向かった。入社22年目のベテラン。「障害者としては駆け出しの5歳ですけど」と、おどけては周囲を和ませる。
尻相撲大会の中継だった。2008年6月14日、宮崎県高千穂町。水田に浮かべた発泡スチロールの土俵に「哲さん」が登場すると会場は大きく沸いた。「はっけよい、のこった!」。尻と尻が勢いよくぶつかる。足を滑らせた次の瞬間、「ゴンッ」。鈍い衝撃が頭頂部に走った。
エックス線画像による診断は「頸椎(けいつい)骨折」。町内の病院からヘリコプターで熊本市の病院へ。砕けた骨を取り除く手術器具は福岡から取り寄せるという。「ふわっと魂が浮いているような感覚」だけ。意識はずっと鮮明で痛みもなかった。
妻と小学6年の長男と小学5年の長女が駆けつけた。医師に促され実感のないまま“最期の言葉”を残した。「帰ってこんかったらお母さんをよろしくね」。手術室に入ったのは夜11時。事故から9時間たっていた。
体中をチューブにつながれ、もうろうとしていたころ、涙声の呼び掛けを何度も聞いた。清掃のおばちゃんだった。「絶対に負くるもんかって、頑張らないかんよ」。あったかい熊本弁は、ずっと胸の底に響き続けた。
「一生ベッドの上なのか」。確かめたくて執刀医を呼んだ。「九十九パーセント寝たきりでしょう。車いすに乗れるようになれば万々歳」。四肢麻痺(まひ)の宣告なのに、希望が一気に膨らんだ。
「一パーセントでも、可能性はあるんですね」
リハビリ当初は上半身を起こされると気を失った。神経を損傷し血圧調整ができないのだ。わずかに動いた肩を鍛えて腕を引き上げる。胸までしか上がらなかった指先が顎に触れるまで、「30センチ」に1年かかった。熊本市、福岡県飯塚市、大分県別府市と病院や施設を移りながら「石の上にも、ならぬ訓練台の上にも3年10カ月」が過ぎた。
長い沈黙を破り、柳田さんは戻った。UMK本社前からの中継。「ご心配をおかけしました」。次々に観衆が駆け寄る。「二度と握手できない」と言われた手を、たくさんの手が握りしめた。
今も固定ベルトなしでは座ることができない。毎日のように両手を見つめ「指、動かないかな」と思う。それでも肩の力で車いすをこぎ、自助具を使ってパソコンを操作する。
「限界なんて、自分がつくるもの。小さなことに悩んでいた昔の自分にも言ってやりたい。『五体満足な人間が何を悩んどるんか』ってね」
毎週土曜が待ち遠しい。出番は正午に始まる情報バラエティー「マッポス」。自ら取材した地域情報を紹介する。腹筋も使えないのにカメラの前では不思議と声を張れる。今日もレンズの向こうに、たくさんの笑顔が見えた。
◇ ◇ ◇
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私も何人か頸髄損傷の患者さんを
知っておりますが、
交通事故やスキー、スノーボードの事故の方が
多かったように思います。
特に近年はスノーボードの方が
多いように思えます。
スノボは外傷が多いですよね。
他には飛び込んだら
テトラポットがあったとか、
滑り台を滑って最後に頭をぶつけたり
した方もいます。
本当に、皆様
ちょっとした事で防げる事も多いので
お気をつけ下さい。
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